Manabu Ohishi Message |
ギターリストの松木恒秀さんが亡くなりました。当時21才の自分は野口五郎さんとのコンサート&TVやディナーショー、オールナイトフジの司会 の鳥越マリちゃんのライブ&学園祭や、スタジオの仕事も少しづつやっていました。五郎さんのギターリストが松木さんのボーヤをしていたので 「ビクター」のオーディションがあって、歌手のCDを作るとの事... そのプロデューサーが松木さんだったのです。2曲弾いてもう1曲と言われ、 スティービー・ワンダーの「イズント・シー・ラブリー」を思いきりフェンダーローズで弾きました。それが良かったのだと思います。今はドラム の「ルイス・ナッシュ」の奥さんですが、当時「テレサ・ジョネット」のCD・LP・カセットを1985年に出しました。その後、野力奏一(pf)さんの トラで、阿川泰子(vcl)さんのバンドに入りコンサート&TV、なぜかその後、松山千春さんのバンドで、コンサート&レコーディングアレンジ& Playをしたのですがいろいろ有り、出されてしまいました。(本人は知りませんでした) 仕事が無くなった所に、タモリさんの「今夜は最高」 をやらないかとか「桃井かおり」さんのJazz フェスのアレンジ、いろいろなイベントの仕事を貰いました。ライブハウス3回ステージの休みの時間 に六本木のスタジオで1983年に「所ジョージ」さんのレコーディングも、やらされました!!(コヨーテの夜、松木さんのアレンジ&プロデュー ス)1994年には僕のアレンジ&プロデュースした、シングライク・シーキングの「佐藤竹善」の初ソロCD「コーナーストーンズ」に2曲参加して貰 いました。その後、初トリオCDのスペシャルサンクスに、松木さんの名前を書いたので持っていったら「こいつは、こうゆうやつだ!!」と喜ん で「アルフィー」に来てくれました。最後に会ったのは同じソニーのカタジオで松木さんがMIXをしていて僕が「レディ・キム(vcl)」のアレンジ &録音をしていた時に会いに来てくれました。「終わったら来い!!」と..行くとどんぶり物の漬け物を残しておいてくれて焼酎の一升瓶が有り、 「飲め!!」お湯割りでした。昔話を楽しく最終電車ギリギリまでしました。CDがずっと出せなくて、悩んでいたら「お前の生き方は正し い!!」とか、さんざん、酒、飯をごちそうになり、ライブの時六本木から、三田のアパートに2日間も、泊めてもらい、朝までスティービー他、 当時はやると言われていた、ホイットニー・ヒューストンの1枚めや、アニタ・ベイカーをよく聴きました。アレンジ料20万貰ったので松木さんの 好きなシーバスリーガルを買って、三田のアパートに行きました。ある日松山千春さんのツアーで新幹線のグリーン車にいたら隣に松木さんが乗込 んで来て「今から貞夫さんの曲をアレンジしてほしいと言われたので行くんだ!!」と言って「お前のくれた酒をもってきたんだ」と...すぐさま、 紙コップと氷を持ってきました(当時新幹線にはありました)もちろん紙コップはは2枚重ね、千春さんメンバーは、皆ビビツていました。あの松木さ んと...飲んでいると...(笑) 日野元彦さん、本田竹広さんも師ですが、松本さんからいろいろ教わりました。もう世の中に自分を叱ってくれる人が いないので悲しいですが、今度は自分が若者を叱る番だと思う。今日この頃です!!(1枚だけ、松木さんが土岐英史さんの「Good Life」を誉めてく れました、トコ(日野元彦)さんもです。) |
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