Click Here

好評発売中!!




 ピアニストの本田竹広さんが1月12日亡くなり

ました。僕が初めて本田さんを見たのは16才の時

でした。当時「マクセル」というカセットテープの

コマーシャルで本田さんのバンド「ネイティブ・サ

ン」の曲が使われ映像にも出ていました。そのバン

ドのコンサートが下関のホールであったのです。

キーボードが8台ぐらいあって、曲ごとに使い分けていました、その頃ロックバンドをやって

いた少年はピアノ1台でリズムをガンガン出していく本田さんにショックわうけました。

その後フェンダーローズを買って17才からピアノを弾き始めました(学校のピアノで)進学

せず、ヤマハのネム音楽院に入って1年半が過ぎた頃、あの本田さんがピアノ講師として来て

いました。もうすぐ卒業だったのですが、特別にそのクラスに入りました・・・と言っても殆

んど教わつた事はなく「何か弾け!」と言われたのと、本田さんが弾くのを「スゲー」と思っ

ていました。その後本田さんに会った時に「オレ今やっているバンドをやめるんでオマエやっ

てくれ!」と言われて「宮本典子」さんのソウル・バンドをやる事になりました。

それで高円寺の「ジロキチ」に出るようになり、サックスの土岐さんやいろんな人に出会いま

した。本田さんとツインキーボードで「Big Fun」というバンドもやっていました、そ

の時会ったのがベースの米木さんでした(その頃は僕は大した事は出来なかったと思います)

その後いろんなバンドを経験したのですが16才の時見た「ネイティブ・サン」のメンバー全

員と演奏しました。何年か前から僕の好きな「ベーゼンドルファー」というピアノを本田さん

も気に入ったらしくレコーディングやコンサートで弾くようになりました。そのピアノで弾い

た、最後のCDとなった「My Piano My Life 05 Honda Takehiro Piano Recital」を何度も、

聞いています。本田さんみたいに思いっきりピアノを弾けたらと思って始めたピアノだったの

ですが、自分のスタイルを作りたくて、ビル・エバンス、キース・ジャレットの影響を受ける

ようになりました。

でも僕の原点は「THIS IS HONDA」などのトリオのレコードや「ネイティブ・サン」のレコード

だと思います。 もうすぐ7作目のレコーディングに入ります。このCDを本田さんに捧げようと思います。

06-01-26 大石 学


Back Number Vol.01 Vol.02 Vol.03 Vol.04 Vol.05 Vol.06 Vol.07 Vol.08 Vol.09 Vol.10 Vol.11 Vol.12

Vol.13 Vol.14 Vol.15 Vol.16 Vol.17 Vol.18 Vol.19 Vol.20 Vol.21 Vol.22 Vol.23 Vol.24

Vol.25 Vol.26 Vol.27 Vol.28 Vol.29 Vol.30 Vol.31 Vol.32 Vol.33 Vol.34 Vol.35 Vol.36

Vol.37 Vol.38 Vol.39 Vol.40 Vol.41 Vol.42 Vol.43 Vol.44 Vol.45 Vol.46 Vol.47 Vol.48

Vol.49 Vol.50 Vol.51 Vol.52 Vol.53 Vol.54 Vol.55 Vol.56 Vol.57 Vol.58 Vol.59 Vol.60

Vol.61 Vol.62 Vol.63 Vol.64 Vol.65 Vol.66 Vol.67 Vol.68 Vol.69 Vol.70 Vol.71 Vol.72

Vol.73 Vol.74 Vol.75 Vol.76 Vol.77 Vol.78 Vol.79 Vol.80 Vol.81 Vol.82


 
戻る