藤八拳の由来

新富町の幇間、櫻川善平師によれば、豊臣秀吉、朝鮮侵攻の時、九州名護屋に、
数年間在陣中の折、京都高台寺の住僧、端翁和尚が曽呂利新左衛門とともに、
陣中見舞いに参じ兵士のつりづれを慰めるために、三すくみの狐拳を考案した。

また、江戸新吉原の幇間、藤八がこの狐拳・庄屋拳を行っていたので「藤八拳」
と云うようになった。

「藤八五文薬」この薬は、本家は長崎・綿屋藤八、弘所は駿府の伊豆屋藤吉と
いう者が、全国に売り子を出して五文で売ったという。
江戸に現れたのは、文政八年(1825)頃で、一人ないし五人の売り子が蛇の目の
紋の柳行李の薬箱を背負い「とう八五もん」と書いた菅笠をかぶり、腰には、
小さな道中差し手には丸に「藤」の字の扇子を持ち、脚絆草履ばき、雨の時は
桐油の出たち、一方が「トーハチ」と呼ぶと他方が「ゴーモン」と応じ、
双方相対して「キミョー」と合唱したといいます。

と、諸説有ります。
後年、狐拳・庄屋拳の三拳連続、一番勝負のルールが出来ますと「いち、にノ、
さん」という掛け声を「藤八、五文、奇妙」と掛けるのが流行り、以後、
藤八拳というようになったといいます。

狐の型

対手に手のひらを向け、中指の手爪先が目の線に来るようにして、八の字に置く

鉄砲の型

両のこぶしを握る、鉄砲の引きがねを引いた瞬間のつもりの握り方が良い。

庄屋の型

旦那、檀那ともいい、両のてのひらをキチンと両膝のうえに置きます。